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<新入荷 Wedgwood> 個数限定で入荷しました!こちらからどうぞ!
ウェッジウッド廃盤品特集 アンティークウェッジウッド

ウェッジウッド エトセトラ、、、

こちらのページはウェッジウッドに関するよもやま話のようなコーナー店主やスタッフが業務にあたって調べ物をした事柄や情報をアトランダムに掲載していこうと思います。

リトグラフ(石版印刷)

磁器の色は印刷のインクと同じ方法で油と防水に誘引され、再製造された絵は石の面に油で出来たクレヨンで描かれます。その石を水とインクで湿らせるとインクのみは油で出来たクレヨンにしっかりと付着しますが水分は付着しません。

残った図案は石のプレートから紙に取られ磁器の図案となります。

後にメタルプレートへの発展へつながります。

1870年代の写真石版の限られた時期の使用を除きウェッジウッドのエトルリア工場では1940年までリトグラフ装飾は使われませんでした。

シルクスクリーンプリンティング

図案を切り抜いた紙やフィルムに目の粗い絹のスクリーンを張り合わせこれによってインクの通る部分と通らない部分が区別されるのでそれを版として紙の上に乗せ適量のインクをヘラで伸ばしていくプリント方法です。

ウェッジウッドの素晴らしい品質のマルチカラー印刷で適切に織られたシルクの隙間を通り色分けされる、という進歩的な方法でした。

1960年から1970年にはより一層の色の並びと複雑なトーンのグラディエーションを出すことができるようになったために好んでリトグラフに代わって用いられるようになりました。

参考文献 Reilly WEDGWOOD Ⅱ

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B級品(グレードⅡ)についてのお話 

2009年6月23日

ウェッジウッドのみならずどのブランドも工場から出荷されるまえに厳しい目で品質のチェックを受けそこではじかれてし  まう品が存在します。 

ウェッジウッド社ではそのような品を通常の品物と区別するため製品のバックスタンプにわざと針先でスクラッチ(傷)を入れます。

もちろん欠けやヒビではなく色飛びや微細な傷等の理由によるものです。

最近はバックスタンプに傷を付けず周辺に一見するとまったく見えないのですが角度をかえるとG2(グレードⅡ)のスタンプが浮かび上がるような加工がされています。

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アルパインピンク

「アルパインピンク」とは、ボーンチャイナそのものに色をつけたものことです。1936年にノーマンウィルソンによって発表されました。

その後1955年に短い期間だけ再製造されました。
アルパインピンクはトラディショナルシェイプで作られました。 さらにシェルシェイプ(ノーチラスを含む、)クープシェイプやサボイシェイプでも製造されます。
ボーンチャイナの素地そのものに色をつけるという、1878年のウェッジウッドによる試みは成功しませんでした。
しかし、1882年から1886年の間に、青緑、青、黄色、ピンクや薄紫色で何度も製造が試みられました。
これらの試作品は現在残っているものは非常に数が少なく、おそらくごくわずかしか製造されなかったのでしょう。
ピンクの素地のボーンチャイナはのちに、1898年から1902年の間にハリーバーナードによって、
テーブルウェアの形を装飾する液状粘土として使用されました。
着色されたボーンチャイナが商業的に製造されたのはアルパインピンクが初めてです。

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ポートランドの壺

The Portland Vase ポートランドの壺(カメオグラス)

ローマ時代初期アレクサンドラ周辺で制作されたと推測、1582年古代ローマ皇帝の墓地で発見されたと伝わる

最初の所有者は文学、美術の愛好者フランチェスコ・マリア・デル・モンテ枢機卿1627年彼の死去により相続人が法王ウルバヌス八世の甥フランチェスコ・バルベリーニ枢機卿に売却マダマ宮殿からバルベリーニ宮殿ここで約1世紀に渡り同家の所有となったことから別名「バルベリーニの壺」とも呼ばれる。

その後不幸にも所有者のバルベリー家は昔日の面影は薄れ経済的な理由で1780年スコットランド人の骨董美術商、ジェームス・バイエルに売り払われる。商人であるジェームスは三年後の1783年当時のナポリ王国駐在イギリス大使 ウィリアム・ハミルトン卿へと売却する。

ただ金額は当時のハミルトン卿にとって不相応なほど高額でその年コレクターにふさわしい人物としてポートランド公爵夫人に購入を勧めた。翌年ついにこの古代ガラスの名器はポートランド家の所有となる。

公爵夫人は不幸にも翌年に他界し長子が相続することになります。

この時代に若き公は陶芸家としての名声を博したジョサイア・ウェッジウッドが自身の傑作ジャスパーにて復元したいことを伝え聞き一年間ウェッジウッドに貸し出されます。

ジョサイアの復元ののち名器は再びポートランド家へ返還され四半世紀もの間所有されます。

そして1810年、第四代ポートランド公は天下の名器を自宅所有することで毀したりする危険との理由で国立大英博物館に寄託することを申し出ます。

これによってローマ時代のガラス名器は初めて公衆の前にその美しい姿を現します。

しかしその35年後突然の悲劇が訪れます。

精神異常の若者によりケースは毀されそして床にやたたきつけられた壺は無惨にも200以上の破片となります。

壺は美術館の修復人によって修原されますがこのときに大変役に立ったのがジョサイアが制作の細部まで精巧、繊細に作られたジャスパーでのポートランドベースでした。

そしてその後1945年この名器はジェームス・ローズ・バレンタイン氏の遺産基金で大英博物館が正式にポートランド家から正式に購入して現在に至ります。

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シェイプの移り変わり

以前から気になっていたのですがウェッジウッドの定番ともいえるリーやピオニー、ボンドといった古くから作られて現在でもウェッジウッドを代表するシェイプですが少しずつ大きくなってきています。 大きくなったことには気づいていたのですが実際にどのくらい変わったのか測ってみました。

ピオニー左がプレイズターコイス(バックスタンプから1900年代初期)右は現行品のアストバリーブラック

カップ高さ5.4CM   5.6CM

カップ経 10.2CM  10.7CM

ソーサー経14.5CM 14.8CM

比較にアストバリーブラックを使ったのは店主の遊び心です。ケースから久々に出したけどぶつけなくて良かったです(^^;)

次は洋食器のシェイプで最も完成された形と称されるリーシェイプ。現行で人気のワイルドストロベリーと1900年代のモーゼルです。

カップ高さ6.8CM   7.3CM

カップ経 8.2CM  8.5CM

ソーサー経14.7CM 14.8CM

最後はボンドシェイプ

左が1900年代初期のプレイズターコイス、右は20年ほど前に製造されたジェームスタウン

カップ高さ5.5CM   5.8CM

カップ経 5.5CM  5.6CM

ソーサー経11.5CM 12.5CM

ソーサーはかなりの差がありました、ただなんといってもボンドシェイプ新旧の決定的な違いはソーサーの井戸じり部分、、、昔のボンドはカップの下部が収まるようにかなり窪んでいます。

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